関市のヒト

プロ野球選手を引退後、地元新聞店からドラフト1位指名を受け継業!スポーツの経験をふるさとに恩返し!

井藤 真吾さん

プロ野球選手→個人事業主× まちおこし

第6期せきららゼミでは「関ではたらく」をテーマに、大学生が8名のゲストにインタビューを行いました。
普段は、決して聞くことができないような「せきらら」な話をたっぷり聞いた大学生たち。果たして、どんな話が聞けたのでしょうか?

本記事は、岐阜聖徳学園大学3年船戸ひなたさんが書きました。

せきららゼミの詳細およびほかの参加者が書いた記事はこちら (別ウィンドウで開く)

井藤新聞店(関市武芸川町)

井藤さんの仕事について。事業内容、働き方、一日のスケジュールなど

井藤さんは、関市武芸川地域で新聞販売店の経営をされています。深夜2時頃から一日の仕事が始まり、入荷から配達までを午前6時ごろまで行っているそうです。そこから昼頃まで家族と過ごしたり、休息をとったりしています。

その後、13時から二度目の出社をし、夕方まで働きます。寝る時間は少なく、休みは月に一度くらいという忙しい毎日を過ごされています。

井藤新聞店作業所

井藤さんにとって「働く」とは

井藤さんにとって「働く」ことは家族との時間や生活を大切にしたうえで、生きるためにやるべきことだそうです。
日本では仕事を一番において生活をしている人が多いのですが、家族や自分のことを一番に考えたうえで働くことが大切なのではと話してくださいました。

仕事中の井藤さん

井藤さんの学生時代からプロ野球選手時代について

~小学生時代~
井藤さんは、野球の練習に励みながら勉強も熱心に取り組むとても活発な小学生でした。
毎日19時ごろから野球の練習があったそうで「見たいアニメがあるのになぁ・・・」と思っていたそうです(笑)。

~中学生、高校生時代~
井藤さんは、小学生時代から変わらず、中学生、高校生時代も野球の練習に励んでいました。野球だけではなく、学校生活でも学級委員長や団長、生徒会役員など活発に取り組み「全部に本気で」という気持ちを持っていたそうです。
中学校、高校に進むにつれ、野球のレギュラー争いなどで、周りのレベルの高さから落ち込む日もあったそうです。しかし、落ち込んであきらめるのではなく、人よりも練習を多くすることで前向きに上を目指すことができていたそうです。
高校二年生の時に、チームのために野手転向をしたのち、どんどん注目されプロの世界を意識していきました。

~中日ドラゴンズへ入団(18歳)~
井藤さんは高校を卒業後、2008年に中日ドラゴンズからドラフト7位指名を受け入団しました。子供のころから取り組んでいた野球が「仕事」になった瞬間です。
プロ野球の世界では、野球の技術や頭脳がより一層必要とされ、毎日トレーニングに励んでいたそうです。
入団して二年がたったころ、育成選手になりました。そこで、ユニフォームの背番号が2桁から3桁に変わり、とても悔しい思いをした井藤さん。
一念発起して「もっと努力しよう」と練習に励んだそうです。あるコーチとの出会いもあり、バッティングを教わったことで高校生時代とは比べ物にならないほどよくなったそうです。

甲子園出場時の井藤さん

井藤さんの人生の転機

井藤さんの人生の転機は2つあります。
1つ目の転機は、18歳の時で、小さなころから憧れていた「プロ野球選手」という夢が叶った瞬間です。

2つ目の転機は、24歳の時で、球団から引退宣告をされた時でした。引退宣告は急にやってくるそうで、その日の2軍の試合が終わった後に、ロッカールームに呼ばれ宣告を受けました。

当初は、気持ちの切り替えが出来ず、野球にこだわり、独立リーグや裏方で野球と関わっていくことを考えたそうです。しかし、トライアウトを受けた後、気持ちが吹っ切れ、新聞店継業の道を決めることができました。

現在経営する井藤新聞店は、家業というわけではなく、たまたまのご縁で出会うことができたそうです。いまは、やりたかった経営もできて、満足しているとのことです。

井藤さんが継業した井藤新聞店(関市武芸川町)

井藤さんが、普段生きる上で大事にしたいこと・願っていること

「前向きに生きること」「社会は、理不尽なことも多く悩むことも多いですけれど、その悩みをパワーに変えることが大事ではないでしょうか」と教えてくれました。

気さくに話してくださる井藤さんの笑顔から、前向きに生きることの大切さを気づかせていただきました。

また、現在、0歳と2歳のお子さんがいる井藤さん。井藤さんは「何より、子供のために頑張りたい」とおっしゃっていました。

井藤さんは、少年時代、毎日夜7時からお父様より野球の指導を受けていたそうです。子どもの頃は嫌だったそうですが、プロになることができた今となっては「父にとても感謝している」とのことでした。

井藤さん自身も、子供のやりたいことや夢を全力でサポートできるようになりたいと熱い思いを話してくれました。

とっても気さくな井藤さん

「関市で働く」ということに関して、井藤さんがパッと想い浮かぶこと

「地元への恩返し」と力強く答えました。
プロ野球選手時代にポスターを貼ってもらったり、応援の声を頂いたりと、地元の方々に応援していただき元気をもらっていた。その恩返しができたらと思い、今は武芸川まちづくり委員会での活動や野球塾、新聞店の仕事を行っているとおっしゃっていました。

武芸川まちづくり委員会スポーツ部会長を務める井藤さん

井藤さんの趣味、休日の過ごし方

井藤さんの趣味は、ゴルフと野球。ゴルフは中日ドラゴンズ時代から始めたそうです。
休日は、0歳と2歳の子どもたちと過ごすそうで、公園で遊んでいると話していました。仕事も家庭も大事にされているということが、伝わってきました。

趣味のゴルフを楽しむ井藤さん

井藤さんの今後の展望、考えていること

今後は、野球塾を通して「関市からプロ野球選手を輩出したい」と語っていました。
また、関市の野球チームもどんどんと減っていき、野球人口、スポーツ人口が減っているので、もっと増やしていきたいということも話していました。
「大好きな野球を伝えたい」という熱い思いがそこにはありました。

中日ドラゴンズ時代の井藤さん

井藤 真吾さんに質問!

    Q:子供の頃の夢は何ですか?
    A:幼いころからプロ野球選手になることが夢でした。いままで抱いてきた「プロ野球選手」という大きな夢に匹敵する夢を、これから探していきたいです。

    Q:関市の魅力は何ですか?
    A:「人が優しいところ」。関市の人はおおらかで、フランクに話しかけてくれることがうれしいです。名古屋での都会生活と関市の田舎生活、どちらの良さも感じる一方で、今はゆっくりとしている関市が好きですね。

    Q:関市のおすすめのスポットや名物、体験してほしいことは?
    A:おすすめスポットは「武芸川温泉」です。現在の武芸川温泉も好きですが、リニューアル前のゆっくりとした雰囲気も好きでした。

井藤 真吾さん

井藤新聞店 代表
武芸川まちづくり委員会スポーツ部会 会長
中京大中京高では投手、外野手として活躍。3年春に甲子園出場。2008年に中日ドラゴンズから7位指名を受け入団。2012年のアジアウィンターリーグでは打率.391の成績を残した。2014年に現役を引退し地元の新聞店を引き継ぐ。
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