関市の未来を切り拓くような、ワクワクする商品を生み出したい!
熊田祐士さん
幼いころから抱いていた会社経営への憧れ
岐阜県中央部にある関市といえば、ドイツ中西部ゾーリンゲン市と並ぶ世界的に有名な刃物のまち。そんな関市で70年以上にわたり刃物・ハサミのOEM製造を手がけるニッケン刃物株式会社は、韓国やシンガポールなど海外に販路を広げ、着実に業績を伸ばしてきました。
祖父が創業し、父が社長を務めるなか、熊田祐士さん(34歳)は幼いころから家業を継いで会社を経営することを意識していたそうです。
「私は次男なのですが、もし兄が会社を継がなかったら、いつか会社の経営や商品づくりに携わりたいと思っていました。小さいころから図工や技術など、ものづくりも好きでした」
高校卒業後は東京の大学に進学。地元に帰ることも考慮し、まずは外の世界を学ぼうと大手家電メーカーに就職しました。
「7年間、品質管理や調理家電の商品企画に携わりました。ゼロから新しいものを生み出す大変さはありましたが、みずから企画した製品が世に出たときの嬉しさは格別でしたね」
そんな中、熊田さんの兄が地元とは別の場所で家を建てて地元には戻らないと話したことや、ちょうど自分の仕事に区切りがついたタイミングが重なり、2014年に地元である関市に戻ることになりました。
若手3人で生み出した「日本刀はさみ」が大ヒット!
関市に戻り、家業であるニッケン刃物に入社した熊田さん。入社2ヶ月目で、社内の若手社員らで新製品づくりを任されました。仕事の後、若手3人で喫茶店に集まり話しあったところ、「刃文のついたはさみはどうか」「関市のルーツである日本刀をモチーフにしてみたら面白そう」と意気投合。早速熊田さんがスケッチを描き、翌日社内で提案したところ、すぐにGOサインが出て製造に着手することになりました。
「自分たちが企画した商品がかたちになっていくスピードは、大手メーカーにいたときとは比べものにならないほど速かったですね」と熊田さん。『関伝の美』と名付けられた日本刀はさみは、数々の試作を経て2015年5月に完成。切れ味を良くする日本刀のように反った形状や、実際に武将が使っていた名刀を緻密に再現したデザインは、多くのバイヤーの目にとまり、発売開始から3年で約8万本が販売されるほど大きな反響を呼びました。
「関市で働きたい!」と思ってもらえるような企業にしたい
熊田さんは2018年10月にニッケン刃物の代表取締役社長に就任。数年前から進めていた新社屋の完成に伴い、熊田さんのほうから「社長をまかせてほしい」と前社長に直談判したそう。こうして30名の社員を抱える企業の社長となった熊田さんは、早速経営発表会を開き、みずからの想いや会社を取り巻く状況について、すべての社員に共有しました。
「これまで具体的な数字を出して経営状況を社員に伝える機会はありませんでした。この経営発表会を経て、『会社の目指していることや社長の想いがわかった』と社員の嬉しい反応がありました。
こうして、自社ブランドの製品が誕生したことで、大きな転換期となったニッケン刃物。販路が拡大しただけでなく、ほかにも思わぬ効果があったと熊田さんは語ります。
「日本刀はさみの知名度が高くなったことから、若いかたが『ここで働きたい』と言ってくれるようになったことですね。関は高校卒業後、市外に出てしまう人がほとんどで地元に帰ってくる人は年々少なくなっていると聞きます。『この会社で働くために関に残る(戻る)』と思ってもらえるような魅力的な会社づくりがこれからの私の目標です」
熊田祐士さんに質問!
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Q.関市の刃物の特徴は?
約700年前から刀鍛冶の地として栄え、戦国時代には関でつくられた日本刀が多くの武将に愛用されました。現在では刃物の出荷量が国内No.1の地域となっております。
Q.関市のよいところは?
まちの雰囲気がのんびりしていて、穏やかな人が多いところですね。県外に出たからこそ、より関の良さを感じるようになりました。
Q.休みの日には何をしていますか?
新商品のリサーチを兼ねて雑貨めぐりをしています。関市から名古屋へは、頻繁に出かけますね。
熊田祐士さん
関市出身。東京理科大学を卒業後、大手家電メーカー「シャープ株式会社」に入社。品質管理や商品企画に携わる。2014年に関市へUターンし、家業であるニッケン刃物株式会社に入社。2018年10月に代表取締役社長に就任した。