好きなことに飛び込み続ける女社長!Uターンして気づいた地域づくり、仕事づくりの大切さ
中島 望さん
農福連携× 地域づくり
第6期せきららゼミでは「関ではたらく」をテーマに、大学生が8名のゲストにインタビューを行いました。
普段は、決して聞くことができないような「せきらら」な話をたっぷり聞いた大学生たち。果たして、どんな話が聞けたのでしょうか?
本記事は、中京大学3年の剣未羽さん、岐阜女子大学3年の福田巴菜さんが書きました。
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中島さんの仕事について。事業内容、働き方、一日のスケジュールなど
中島さんは、障がい者の就労支援を行う株式会社DAIの専務取締役を務めています。この仕事は、中島さん自身が起業し、一から作り上げてきました。35歳で大学に「通信」という形で通い始め、精神保健福祉士の資格を取得するなど、経験と知識をつけました。
株式会社DAIでは、大切な3つの出逢いを掲げています。
①「農福連携」農業と福祉の出逢い
●地域の特産品を創生します。
●地域の特産品を守ります。
●耕作放棄地、休耕地を田畑に戻し地域の景観を守ります。
②「産福連携」産業と福祉の出逢い
●地域の企業で福祉の人材が活躍します。
●地域に必要とされる企業になります。
③「地福連携」地域と福祉の出逢い
●地域に仕事をつくります。
●安心して住み続けることのできる地域を創ります。
●地域の支え手として活躍できる機会を拡大していきます。
株式会社DAIの代表として、10年間経営を行ってきた中島さん。現在は、事業が軌道に乗り、業績が右肩上がりになってきたので、旦那さまに社長を譲りました。中島さんは、専務取締役に就任。週に2日程度出勤し、主に従業員の方々の給料等お金の管理を行っています。
女性や高齢者等、働きにくい環境にある人を特にサポートしたいという中島さん。関市で長く働いてもらえるような仕事を見つけてもらうことを目標に支援を続けています。
また、中島さんは、研修講師としても活動しており「女性の起業」をサポートしています。関市だけではなく、愛媛県の女性にもサポートを行うなど、全国的に活動の場を広げています。
中島さん自身の経験を踏まえながら、女性も子育て等と両立して好きなことに時間を使うことができるということを伝えています。
そんな複数の事業を行う中島さんの一日は朝6時に起床し、息子さんのお弁当作りから始まります。7時半に娘さんを送り出してから、8時に自宅でZOOMを利用し、ミーティングを行います。その後、その日のうちにやるべき仕事を順番にこなしていくそうです。
中島さんにとって「働く」とは
仕事とは「誰かの役に立つこと」だと中島さんは話されました。
「好きなこと、興味のあることを見つけていった結果、いまがあると思っています」と中島さんは話します。ただ闇雲に働くのではなく、好きなこと、興味のあることに「出会う」ことが大切とのこと。
そして「とりあえず夢中に目の前のことをやってみて挑戦すること」だと話します。
時には切り捨てることも大事ですが、視野を広げて、いろいろなことにチャレンジする。その上で、自分の本当にやりたいことを選択し、狭めていくことが自分の好きなことを仕事にするポイントだと話します。
中島さんの学生時代
~小学生時代~
小学生時代はとにかく目立ちたがり屋だったそうです。応援団をやるタイプで、人前に出ることが好きでした。中島さんは「ピーターパン」に憧れて、本気でピーターパンになりたいと思っていたそうです!
また、真ん中の妹がかわいいとよく言われており「かわいい妹のお姉ちゃん」といわれるのが嫌だったそうです。
~中学生・高校生時代~
中学生時代は、応援団をやるために頑張っていました。3年生では生徒会長も務め、いつでも目立っていたいという気持ちがありました。
高校生時代は中学生時代とは真逆で目立ちたいという気持ちはなくなり、英語に力を入れ、勉強していました。インターアクトで韓国にも行き、経験を積んでいきました。
進学の際に親の反対を押し切って自分のやりたいことを通すことが大変で、毎回バトルになっていたそうです。
~専門学生時代(18歳から20歳ごろ)~
中島さんは、製菓の専門学校に通っていたそうで、そのころは遊んでばかりだったとのこと(笑)。バイトして、遊んで、カラオケでオールをする生活をしていたそうです。その中でも授業は真面目に取り組み、単位を取っていました。
中島さんは「夢は知識」という言葉が好きです。知っているからこそやってみたいになる。まずはいろいろなことを知っていく。知らないと夢にも繋がらないため、まずは興味を持って取り組むこと。いろいろな人と話すこと、そして本を読むことが大切だと話されました。
専門学生時代には、フランス人の先生に水を出しっ放しにして怒られたことが印象に残っているそうです(笑)。この教育から資源を無駄にしないことを学び良い経験だったと話しました。
中島さんの人生の転機
中島さんの人生の転機は2つあるそうです。1つ目は、30歳の離婚のタイミングです。離婚をして実家に戻った際に、いざ子育てをしながら働こうと思うと、思うような仕事がないことに気づきました。
その気づきと中島さんのお父様の紹介もあり、障がい福祉サービス業を起業することになったのが、人生の第1の転機だとおっしゃっていました。
2つ目の転機は40歳の時。10年間続けてきた事業のほとんどを再婚した旦那さんに引き渡し、新たにやりたいことを始めた時期とのこと。
中島さんは「女性は40代からが華で、人生のリスタートと思っていたので楽しみだった」と語っていました。そう決めてからは、多くの人に出会ったり、本を読んだりして、自分のやりたいことを見つけていったそうです。
今は、やりたいことを見つけそれに向けて頑張っているそうです。
中島さんが、普段生きる上で大事にしたいこと・願っていること
“今”を生きているということです。私たちの頭の中は常に過去と未来を行き来していて、過去の経験からこうしよう、未来が怖いからこうしようというような決断をしがちになってしまいます。
重要なのは“今”何をするべきなのかです。“今”生きているということを大切にすると、不安も消え、“今”やらなければならないことが見つかると話されました。
また、中島さんが自分の最も大切にしている人たちに対して願っていることは「健康でいてくれること」とのこと。初詣などで一番に思いつくのは「健康でいられますように」ということだそうです。どんな夢や目標を持っていたとしても、健康でないと何もできません。
「関市で働く」ということに関して、中島さんがパッと想い浮かぶこと
関市で自由に働けるということだそうです。
中島さんがUターンをし、いざ関市で働くとなったときに当初は働く環境の選択肢が少なく、思うような仕事にはつけなかったそうです。しかし、今は起業という選択をしたことで選択肢が広がり、家にいても仕事ができたり、仕事を自分自身で作っていくことができるようになったそうです。
また、就労支援をしているため働き続けるということの難しさを痛感するそうで、関市全体でより自由な働き方を認められる企業の環境作りが出来たらと話していました。
中島さんの趣味、休日の過ごし方
ワンちゃんとの散歩やBBQです。最近ゴールデンレトリーバーと暮らし始めました。BBQではピザ窯を作るなどして楽しんでいます。
中島さんの今後の展望、考えていること
サツマイモを利用した製品の販売店を出店したいと考えています。そのお店では大学生の方々に働いていただきたいと考えています。
「大学生の社長とか面白いですよね!」「今までと同じように、地域の方々に役立つ仕事も続けていきたい」と笑顔で話されました。
中島 望さんに質問!
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Q:子供の頃の夢は何ですか?
A:小学生のころは「ピーターパンになること」、その後「学校の先生」を目指し、「パティシエ」へと変化していきました。
Q:関市の魅力は何ですか?
A:自然や人とのつながりです。関市の木々の緑や美しい川が大好きですね。名古屋に住んでいた時は、すれ違う人との挨拶はありませんでしたが、関市では周りの人との挨拶は当たり前。そういった人とのつながりや関わりが好きなので、自宅も“人が集まれる家”を意識して建てました。
Q:関市のおすすめのスポットや名物、体験してほしいことは?
A:道の駅平成や川で行うBBQがおすすめです。道の駅平成で販売している「しいたけスナック(エコピア平成製造・販売)」は人気で、以前は加工を他会社に委託していました。しかし、現在は、閉鎖した旧津保川中学校の給食センターで自社加工をして、大切な特産品を守り受け継いでいます。
中島 望さん
株式会社DAI 専務取締役 精神保健福祉士
2011年創業。障がい福祉サービス業の経営に携わる。創業時から農業を中心とした生産活動を実施。「安心して住み続けることのできる地域づくり」を経営方針 の一つとしている。現在は講師活動も行っている。
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